成長

 何かあるたびにふと「あれは誰の曲だったかな?」と気になることがある。

「ララバイ・フォー・ヘレン」という題名も「確か気に入ってずっと聞いていたはず・・・」と思いながらも忙しい時間に流されるままにどんなメロディーだったのかも忘れてしまい、すべて記憶の片隅に埋もれてしまっていた。

 ところが最近、音楽好きの知り合いと話をしている最中、ふと思い出した。

「『ララバイ・フォー・ヘレン』という曲を知ってる?誰の曲だったか思い出せないの」と聞いた。

彼は「さあ?」と首を傾げたが、その翌日、「わかったよ!」と連絡してくれた。

私はすぐに買い求め聞いてみた。そして懐かしさとともに愕然とした。

「なんと物悲しい曲なんだ」

20年以上も前、まだ若かったとき、生き方の下手な自分がこの曲に耳を傾け、慰められてきた数々の心に痛い記憶がよみがえってきた。

そして「よく頑張ったな」と、ひ弱なあの頃の自分にノスタルジーを感じるとともに、もうこの曲を必要としない今の自分を重ね、長い時間をかけなければできなかった人間としての成長をこの曲を聴きながら何度も味わった。

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ミラーボール

 今年は暖冬のせいで電車の窓から見える菜の花がまぶしい。

今日も車内の出来事である。

 私の前には白い杖を持った若い女性が座っていた。ある駅から隣に中年の男性が乗ってきて彼女の隣に座った。そして彼女のほうを見ると

「あんた、目が悪いんか?」と尋ねた。

こくりと女性はうなずいた。

はっと周囲の人の意識がそちらに集中した。あちこちでされていた雑談が止まったのだ。

「そりゃ、たいへんやろうなあ」

彼女は黙っている。

「でもあんた、目は見えんけど心は見えるやろ?」と聞いた。

「はい」

彼女は初めて声を出した。そして少し微笑んだ。

「わしもそれを大事にしとるんや」

ふと彼は前に座っている今時の若い男性に目を向けた。

彼は白い布で右手を吊っていた。

「にいちゃん、あんた、運動でもして骨を折ったんか?」

こくりと頷く。

「気いつけや」

駅に着いた。

おもむろに彼は「お父ちゃん、降りるで」といった。

向こうには足の不自由な男性が座っており、彼はその人の腕を支えるようにして降りていった。

 人はミラーボールである。彼は家ではうるさがられているかもしれない。しかし、人生のある瞬間でキラッと光るかかわりができたら、そこにいた人たちは明るくなれるのだ。全人格的にできた人などなかなかいるものではない。いやな人がいてもその人の光の部分を見る目があれば、随分優しくなれる。

NLPには「三つの知覚の位置」というスキルがある。自分の目、相手の目、第三者の目で、ある出来事の一場面を椅子を使ってみる方法である。

 自分の見方が凝り固まっていることすら気づかない自分を教えてくれる。

 菜の花とともにほのぼのとした気分を与えてくれた時間だった。

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一年の計

2007年がスタートした。神戸では穏やかに晴れた新春だ。いつものように親の元に集まったり、知人が来たりとしゃべったり飲んだりしていた。その合間に仕事の原稿作りをしていた。そして、いつものように年賀状を読み、返事を書き、みかんを食べる。行動はいつものようなお正月を迎えているが心の奥では一年ごとに変化している。

それは、一年の計である。若いころは「どんな年にする?」と聞かれると面白おかしく達成する気のない話ばかりしてみんなで笑った。また、特に欲しいものもなかった。目の前の障害物を飛び越えるのに忙しく10メートル先まで見る余裕がなかった。そして自分の人生はまだまだ長く続くと思っていた。

10年日記を書き始めて二冊目の中ごろになった。15年たったのだ。1ページに10年分の元旦がある。それぞれにみんなの成長と決意が書かれている。最近は誰も「どんな年にする?」と聞いてくれないが自分に決意する。人にいうより自分にいうほうが真剣になる。それを日記に書く。その決意がだんだん本気になってきているのが分かる。具体的だからだ。欲しいものが出てきたか?というとそれほどでもない。

欲しいのは自分である。ひとりで目標を立て、それに向かって努力し、きちんと手に入れる自分がほしいのである。途中で行き詰ったら「さて、どうしようかな?」と次の対策を考える自分も体験したい。経験がないのではない。何度も何度も繰り返し、その上、無理なく挑戦し続けている時間が好きなのだ。何度やっても飽きないのだ。そして、その挑戦し続けている合間に道草をしているのが好きなのだ。

努力も遊びも休息も読書も、一瞬一瞬がいとおしくなってきた。年かな?

「私であることが楽しかった」と思い、「あの人に出会えて楽しかった」と思われる人生を送りたい。

これを読んでくださっている方へ

「今年もよろしくお願いします」

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アンカー再び

021222  随分前にカウンセリングを終了し、元気に新たな人生へ旅立った人がいた。人生では数少ない喜びの別れである。そのときの決意を胸にした顔が忘れられなかった。その後、順調に暮らしていると思っていた。

 その彼女から電話が入った。あれから離婚や親しい人との死別という大きな苦難を背負い、生きる方向を見失っているという。

「カウンセリングをお願いします」といった。

「苦労していたんだね」と答えた。

次の日、彼女からメールが来ていた。

「声を聞いたら生きる力がわいてきた。もう少し頑張ってみます」とあった。

 

 NLPではその人が欲しいときに欲しい力を自分のうちから引き出すスイッチのようなものを「アンカー」という。カウンセリングではそのスキルで自分にぴったりのアンカーを見つける作業をする。ある人は中学のころにやっていた陸上でスタートする瞬間を思い出すことがアンカーだ。それで心地よい緊張感が体にあふれるという。また、ある人は、若いころによく聴いた音楽であのころの活き活きとした自分を思い出す。

 彼女は私の声をアンカーにしてくれていた。

「ありがとう。私の声が役に立つなら、いつでも電話しておいで」と答えた。

 人は人生を自分の足で歩かなければならない。誰も代わることはできない。そのとき声援を送ってくれる人がいるか、自分の力を引き出すアンカーをどれくらい持っているかで苦労の質が決まる。

 神戸ではルミナリエが明日で終わる。あの光の回廊は震災で亡くなった多くの人への追悼の意を思い出させるアンカーである。美しいとともに哀しい。

彼女を含め一生懸命生きている隣人たちに、これからも共に力づけあえますようにという思いがよみがえった。

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ブックサーフィン

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カウンセリングの学びをし始めた頃、ある先生に「この世界に入ったら一生学びだぞ」といわれた。「一生でも学びきれんなあ」と思いながら今も学び続けている。その関係で本を読むことが多い。一冊の本を読むと、その中で興味を持った箇所を詳しく知りたいためにその関連の書物を買う。いわゆるブックサーフィンである。

最近読むジャンルは「シェルドレイクの仮説」に関するものだ。宮崎県の幸島に住む一匹のサルがお芋洗いをはじめ、それを他のサルたちがモデリングしその後多くのサルたちがお芋を海水で洗って食べる。このシーンはテレビでもよく見た。

ところがお芋を洗うサルがある臨界値を超えると、かれらとは何の接触もない大分県の高崎山のサルたちがお芋を洗い出したということである。このことは世界の専門家を驚かせた。そしてそれはサルにとどまらず鳥や蟻にも見られるそうである。

グリセリンも似たようなことが起こった。以前グリセリンは結晶化しなかったらしい。ところがウイーンで液体のグリセリンをトラックで運んでいる途中結晶化していた。そしてその頃、はるかカナダの研究所のグリセリンが結晶化した。

「遺伝」という科学の常識に当てはまらないこれらの現象は、それより前にシェルドレイクが「場の共鳴」という仮説を打ちたてていた。これらの立証は専門家に任せよう。

以前、ある研修会でF先生が「人と付き合う場合、マイナス思考の人は気を付けなさい」といわれた。それは他者に「うつる」からだそうだ。「シェルドレイクの仮説」に立てばこれはうなずける。私たちの思考・感情・気分は周囲に影響を与え、関係のない人まで巻き込んでしまう恐れがある。

また、悪い情報はよい情報の2倍つたわるというデータもある。つまり、多くの人間は他人の悪口はよい話より2倍の人に話すということだ。

人は落ち込むと「自分には何の力もない」「わたしは生きる価値があるのだろうか」と悩むことがあるだろう。価値は大ありである。落ち込んでいる今そのときも、早く自分を取り戻すことにより周囲に価値を与え続けることができるのだ。

ウソ発見器の検査官であるバックスターは、あるとき観葉植物のドラセナにこの電極を取り付けた。葉をコーヒーカップにつけたときグラフはあまり反応しなかった。ところが火をつけてみようと思った瞬間、強い反応がグラフに示された。そして、焼く振りをしたときは反応が皆無だった。植物は分かっているのだ。

私たちは日常の生活に明け暮れ周囲の人や仕事の成果だけを見ていると、人間として大切なことに気づかないかもしれない。そして、「知識がない」ということも多くの過ちの原因になるだろう。

家の玄関にあるスパシフィラムとベンジャミンに「今までごめんね」と謝った。

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言語マナー・非言語マナー

今朝の電車は混んでいた。小学12年生ぐらいの子供たちがリュックを背負ってたくさん乗ってきたからだ。車内は一気に騒々しくなった。発車や停車の瞬間には体が揺れるたびに、「キャー、キャー、わー、わー」である。乗客の多くは「あと何分我慢しなければいけないのかな?」などと考え時計を見る。

 そこへひとりの先生がはっきりとしかもゆっくり声を発した。

「みなさ~ん、この子供たちは新神戸駅で降ります。それまでご迷惑でしょうが、どうぞご協力とご理解をお願いしま~す。」それを聞いた子供たちはいっせいに口をつぐみ、先生のジャケットやリュックをつかんだ。他の先生方は子供の輪が広がらないように腕を広げた。多くの乗客は彼女に目を向けじっと見た。

 今まで子供たちが郊外学習で先生に連れられて電車に乗り合わせたことは少なくなかった。そして、子供たちが騒ぎ出すと「静かにしなさい」「迷惑にならないようにしなさい」と先生方は注意した。

 しかし、乗客に理解を求めるアナウンスを聞くのは初めてだった。勇気を出されたのだろうなあと勝手に想像し、彼女と目が合うと「了解!」とばかりに微笑んだ。

 マナーの悪さや教師の質の低下を嘆くコメントをテレビでよく聞くが、今も昔と変わらず愛と信念をもって教育活動に励んでいる先生は少なくないはずだ。昨今の新聞でにぎわせている事件や事故から「日本人はだめだ」「教育は完全に荒廃している」との過度の一般化に私は内心恐れを感じる。人は「だめだ」と思えばだめなのである。だから専門家や博識な人が「終わってますな」といい、一般の人が「そうなんか」と思うことで消えないものも消えるのではなかろうかと気になるのである。

絶滅の危機にさらされているコウノトリなどを救うために多くの専門家が苦労し、その危機を免れた話には心温まるものが多くある。それと同じように、未来に希望や可能性を持ち続けることが「心ある人の絶滅」を防ぐ基本的な姿勢だと思う。そして、そのような姿勢をもって、スポットライトは当たらないがごく少数でも職務を忠実に全うしている人に出会ったら、認め、励ます目を持ちたいものだ。

先生の勇気ある発声のあと、周りの多くの乗客も私と同じようにうなづきとともに「了解スマイル」を投げかけていた。それがまたうれしかった。

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死の主役

先日カウンセラー養成講座で、アドベンチスト病院院長の山形先生にホスピス医療の立場から「安らかな生と死を求めて」という演題でお話してもらった。それをここで紹介したい。

 医療現場で患者と向き合うために「ガンの告知」は欠かせない。

患者と医療者はよい人間関係を築かなければならない。秘密やうそが根底にあっては人は歩み寄れないのだ。真実を基にして患者が自分の生き方・最期の迎え方を決断し、家族と本音で話し、医療者はそれをサポートする、そんな医療が日本でもなされているのだ。この病院では、医療者が患者の不安に耳を傾け、告知を躊躇する家族に寄り添い、説得し、告知による患者のショックより安心感と信頼感を生み出すまで懸命にサポートしてくれる。

父がガンで入院したとき、母は告知を断った。そのときの医者は、「お好きなようにしてください。しかし、来年のお盆まで生きていらしたら私はびっくりしますね」といった。その後、母は「お父さんに初めて秘密ができた。でもいえない」と泣いた。そのとき母を説得できる人は誰もいなかった。

 また、多くの患者が苦しむトータルペインとは、4つあると先生は語られた。

1 痛み、全身倦怠感、呼吸の苦しさなど、身体的苦痛

2 孤独、不安、恐怖、うつ状態、不眠などによる精神的苦痛 

3 経済的な問題、職業、家庭の問題など、社会的苦痛

4 人生の意味、生きがい、希望の喪失による実存的苦痛

 これらを医療従事者とともに本音で語れる場がホスピス医療である。

 死の主役はだれか?ということをしっかり理解した人たちがこの病院にはいる。

山形先生はいう。「日本の多くの病院で痛みのケアは『痛くなったら薬を飲んでください』といわれます。しかし、患者さんはそのために『いつ痛みに襲われるのだろうか』と不安な毎日を送らなければなりません。それこそが患者さんをますます不安にさせているのです。痛くなくても薬を飲む、そして痛みを恐れなくてもいい毎日が患者さんを自分らしく最期まで生きようという気持ちにさせるのです。そのように安心できる薬の使い方を医療関係者にはもっと学んでほしいと思います。」先生の言葉は熱かった。

 次は、Robert Twycross氏のヨーロッパ緩和医学会での基調講演の一部である。

「治癒されて死ぬことはできませんが、癒されて死ぬことはできるのです。癒されるということは自分自身と、他者、自分を取り巻くもの、そして神との正しい関係を回復することなのです。

 重要なのは癒しの目標が、治ることや生き延びることではなく、完成させることであると理解することです。

 癒されて死ぬことは、次の重要な言葉を表現することを含んでいます。

I love you; forgive me; I forgive you, thank you; goodbye

 次の日、朝日新聞の第1面に「がん痛み 緩和へ本腰」という題で、厚労省がモルヒネ使用など、医師への研修を積極的に開く、と出ていた。

 これは偶然ではなく必然的な動きなのだと実感した。

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やってきた冊子

 出会いとはなんと不思議で感動的なものだろう。その意味が分かるまで時間がかかることもあれば、即座に「出会えてよかった」と思えるものもある。

 ある冊子が私の手元に届いた。その内容は幸運に恵まれた人、五日市剛氏の公演筆録だった。この話は彼が26歳でイスラエルに行き、ある婦人の家に泊めてもらったことから始まる。その後、自らが起こした交通事故や次に相手のわき見運転から起こった正面衝突の事故など、自分が加害者・被害者にかかわらず相手を大切にしたことから今でも家族ぐるみの付き合いが続いているという。

 そして、ちょっとしたことから頼まれた不良少女の家庭教師から今の企業経営にいたる感動的な人生を語ったものである。その根底には感謝の心と「自分はツイている」という思いが満ちている。読み終わって随分温かな気持ちになれた。

 幸運とはなんだろう。冊子の中にもあるが松下幸之助氏は自分が幸運であることを信じていた。

「私は学校に行っていなかったからよかった。知らないことを簡単に人にたずねることができた」

「私は体が弱かったからよかった。人に仕事を任せることができ優秀な人材が育った」

ある夏、彼は船のふちに腰掛けていたとき、隣を歩いている人が脚を踏み外し海に転落したとき一緒に落ちてしまった。それでも「私は運がいい。冬ならば体が弱いので死んでいただろう」

このように明るく肯定的解釈が幸之助氏だけでなく五日市氏の人生も変えてしまったのだ。

勝者というのは特別な力やチャレンジ精神を持っているだけではなれないのは誰でも知っている。「運」も大切なのだ。そして、ポジティブな考え方が「運」を招くのだ。

どのように招くか。それは、人や出来事を介して招くのだ。嬉しい出来事だけを「運がいい」「ツイている」と思うのは軽率である。

ほとんどの人は自分が納得する人生を送るために必要な力やスキルは持っている。あと必要なのはその自分を信じることと必要なところに運んで行ってくれる波に乗ることである。それがその人の明るさである。そのためには周囲の人を信じられなければならない。周囲の人を大切にしなければならない。そして、自分自身が信頼に値する人にならなければならない。自分ひとりで成し得た成果の感動は少ない。大切な人たちと喜び合える成果ははるかに大きな感動と感謝を与えてくれる。

この冊子は大切な知り合いから私の手に届けられた。そして、その知り合いも大切な人から譲り受けた。このようにこの冊子は多くの人の手を経て日本中をめぐり、その一冊が私のところへ来た。私は冊子とともに信頼のバトンをもらったような気になった。この話をしてくれた五日市氏と顔を知らない多くの人に感謝を伝えたい。

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母の背中

 母は83歳である。昨年肺にガンができていると言われ一緒に暮らすことになった。本人は「もうこの年ですから手術は結構です」と医者にはっきり言ったのだが「一度手術をするだけで治るから」と説得された。術後の経過も良く退院したのも束の間、脳に転移が認められた。これも「簡単な手術だから大丈夫」と医者に勧められた。ガンマーナイフといって脳に放射線を集中的に当てるのだが、麻酔もなく次の日に退院した。

 しかし、その後、腰に転移があり秋には歩けなくなった。担当医は「モグラたたきの状態です。治療は続けますがホスピスをお勧めします。ただ、一つだけチャンスがあります」と言った。イレッサという薬で、ある条件を満たした人には3割の確率で効くという。ただし、間質性肺炎という恐ろしい副作用の覚悟も必要だといった。 母は「ここまで来たらやってみます。副作用が出たら出たときのことです。ただ、苦しい治療だけは嫌です」と放射線や抗ガン剤は断った。

 その後、座ることさえも苦痛で車いすでの移動も短時間しかできなかった。薬を飲みながらベッドの上で足を伸ばしたり持ち上げたりと運動しそのたびに痛みで顔をしかめた。それは、一日一回どころではない。暇さえあれば「いたた」と言いながら動かしている。私が「無理をするな」と言っても「良くなったときに歩けなかったら意味がないでしょ?」と言った。そのころの私はここまでして結果が出なかったことを考えるとそう言い張っている母を見ているのが辛かった。

 あれから半年、奇跡が起きた。年明けから腫瘍マーカーの値が激減したのだ。それにつれて歩行器で少しずつ歩けるようにもなった。私が帰ると「今日は三軒先の家まで行けた」「今日は20メートル先の公園に行けた」と誇らしげに報告してくれた。そして、「ほらね。治ったでしょ?」と笑う。

 今では電車に乗って友達に会いに行く。一度は全部捨てた外出着をまた買いだした。

 ここ二年ばかりの母の生き方は「最後まで親から学べ」と言われているような気がする。

 最近の母の短歌である。

 

終の家と迎えられにしあけくれに返り咲きたる老いの日忙し

現実には目見えぬ人と声のなき語らいのあり老いの夢たのし

    

    

(

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スイッチ

 ある新聞社主催の講演会に講師として出かけた。100人以上の女性達を前に「自分を楽にする心のプチリセット」という演題で話した。「心が疲れるわけ」「下手な心の守り方が起こす次のトラブル」「プチリセット方法」など日常の例を織り交ぜて話した。      

しかし、せっかくリセットしようと思っても私の話を聞いてもらっただけではできない。

講演終了15分前に、初めての試みだったがカウンセリングに使うNLPのアンカーというスキルを使って私が一度に全員を誘導した。これは、自分の内界に意識を向け、欲しい自分にアクセスし、それをいつでも引き出せるように体にスイッチをつける作業である。これはやってみるとなかなか楽しい作業で、うつ症状で来られるクライエントにもよく使って喜ばれている。

 講演終了後、何人かの人が「スイッチできましたよ」と明るい顔で声をかけ帰って行った。そのうち一人の上品な老婦人がこのように言われた。

「年をとり、杖をつき、今のこと、これからのことを考えると微笑むこともなかったのよ。今のワークをしているうちに昔はよく歌を歌って楽しんでいたのだということを思い出したの。そういえばあんな私がいたんだわ。」

私の知らない多くの人生経験をされてきた人が、一番前に座って私の誘導に心をゆだねてくれていた。

私は、「体験は過去のことだがそこから得た力は今も心の中にある」というメッセージをことあるごとに伝えてきた。人生を生き抜くには成功、失敗に限らずそれらの貴重な体験から得たパワーをいつ、どのように使うかが大切である。つまりそれが自分を効果的に使う方法である。

場所を変えた翌週の講演会は夜だった。しかし、彼女は杖をつきながら来てくれた。前回と同じように一番前に座って話を聞いていた。私は豊かな力を与えられた。もうひとつ私にもスイッチができた。

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