言語マナー・非言語マナー
今朝の電車は混んでいた。小学1、2年生ぐらいの子供たちがリュックを背負ってたくさん乗ってきたからだ。車内は一気に騒々しくなった。発車や停車の瞬間には体が揺れるたびに、「キャー、キャー、わー、わー」である。乗客の多くは「あと何分我慢しなければいけないのかな?」などと考え時計を見る。
そこへひとりの先生がはっきりとしかもゆっくり声を発した。
「みなさ~ん、この子供たちは新神戸駅で降ります。それまでご迷惑でしょうが、どうぞご協力とご理解をお願いしま~す。」それを聞いた子供たちはいっせいに口をつぐみ、先生のジャケットやリュックをつかんだ。他の先生方は子供の輪が広がらないように腕を広げた。多くの乗客は彼女に目を向けじっと見た。
今まで子供たちが郊外学習で先生に連れられて電車に乗り合わせたことは少なくなかった。そして、子供たちが騒ぎ出すと「静かにしなさい」「迷惑にならないようにしなさい」と先生方は注意した。
しかし、乗客に理解を求めるアナウンスを聞くのは初めてだった。勇気を出されたのだろうなあと勝手に想像し、彼女と目が合うと「了解!」とばかりに微笑んだ。
マナーの悪さや教師の質の低下を嘆くコメントをテレビでよく聞くが、今も昔と変わらず愛と信念をもって教育活動に励んでいる先生は少なくないはずだ。昨今の新聞でにぎわせている事件や事故から「日本人はだめだ」「教育は完全に荒廃している」との過度の一般化に私は内心恐れを感じる。人は「だめだ」と思えばだめなのである。だから専門家や博識な人が「終わってますな」といい、一般の人が「そうなんか」と思うことで消えないものも消えるのではなかろうかと気になるのである。
絶滅の危機にさらされているコウノトリなどを救うために多くの専門家が苦労し、その危機を免れた話には心温まるものが多くある。それと同じように、未来に希望や可能性を持ち続けることが「心ある人の絶滅」を防ぐ基本的な姿勢だと思う。そして、そのような姿勢をもって、スポットライトは当たらないがごく少数でも職務を忠実に全うしている人に出会ったら、認め、励ます目を持ちたいものだ。
先生の勇気ある発声のあと、周りの多くの乗客も私と同じようにうなづきとともに「了解スマイル」を投げかけていた。それがまたうれしかった。
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